江戸時代の庶民に苗字はなかったか?

 個人名と別に苗字(名字)というものを持つ民族は世界的にはむしろ少数派である。苗字のない国で同名の個人を識別する手段としてよく用いられるのは、父の名である。湾岸戦争で名をはせたイラクの大統領の名はサダムであり、その父の名はフセインである。オリンピックで優勝したエチオピアの女子マラソン選手の名はファトゥマであり、その父の名はロバである。このような事情が最初の報道のときに知られていなかったために、二人とも父親の名前で世界に知られることになった。

 人々が小さな村に住みそれが世界のすべてだった時代ならいざしらず、社会が複雑になってくれば、同名の個人を識別するには他の手段が必要になってくる。しかし、それを苗字という手段を使って行うことが一般化したのは、中国を中心とする東アジアが最初であろう。ついで一般化したのは、ヨーロッパであろうが、ジョンソン(ジョンの息子)とかロバーツ(ロバートの家の者)といった感じの名字が多く、イラクやエチオピアに似た印象を与える。ヨーロッパでも他の国と孤立していたアイスランドには今も名字がない(ただし、家系図は最も発達している)。

 日本語は、朝鮮語やベトナム語同様、固有語を上回るほどの中国語を取り入れたが、姓名がおおむね固有語を保っているという点で朝鮮やベトナムとは異なる。苗字の起源についてはさまざまに言われているが、ここでは一つの誤解を正しておきたい。それは、日本人の大半は明治維新まで苗字を持たなかったという誤解である。確かに、江戸時代に苗字を名のることをおおやけに許されたのは一握りの人であった。しかし、だからといって、それ以外の庶民に苗字がなかったと考えるのは、ある時代にある法律が出されたからという理由だけですべての人々がそれを守ったと考えるのと同じ間違いである。実際には江戸時代にも、庶民が苗字を持っていることのほうが普通であった。ただ幕府の政策のため、それを大っぴらには名のれなかっただけの話である。寺や神社への寄進帳などでは、農民の名前にも苗字がついていることが多い。江戸時代より前の室町時代の文献には農民などの苗字が記されているが、その苗字が同じ地域に今も残っている例も多い。

 もし江戸時代の庶民に苗字がなく、明治になって好き勝手に苗字をつけたとしよう。ある村では宇治だの鷹爪だのという茶の銘柄の名前をつけ、ある村では水野だの榊原だのという江戸時代には恐れ多かった徳川四天王の名前をつけたという話が面白おかしく語られている。そういうことも、確かに一部にはあったかも知れない。しかし、この調子ですべての庶民が新しく苗字をつけたとすれば、私たちは会う人ごとに苗字をたずねることになっていたのではないだろうか? 実際にはそれまで聞いたこともない苗字の人に出会うということは、十人のうち一人ぐらいのものである。

 田んぼの中に住んでいるから田中だとか、山のふもとに住んでいるから山本だとかつけた農民が多いから田中や山本が多いという話はもっともらしい。しかし、鈴木や佐藤はどうだろうか? 田中や山本が西日本により多く、鈴木や佐藤が東日本に多いという地域差はあるものの、これらの苗字は日本全国に広範に分布する。交通手段も通信手段も発達していない明治初年に人々が好き勝手な苗字を名乗ったとすれば、こんな状態は生じえない。長谷川とか服部とか五十嵐という苗字は難読だが、数が多いので誰でも読める。なぜそれほど多くなったのだろうか?

 たしかに、日本は苗字の種類の多い国である。「なかじま」と「なかしま」を別々に数えるか、「中島」と「中嶋」の場合はどうかなど、数え方の基準を定める必要はあるが、読み方を無視して漢字表記の種類だけで数えても10万種前後もある。しかし、その膨大な種類の苗字が同じような数ずつ分布するわけではない。東京と神奈川に限って178万人の名字を調べ、多い順に約49000位まで順位を出した津山さんという人がいる。全国統計ではないのですべてを網羅しているわけではないが、首都圏には日本中の人が集まるので、ここにない苗字は全国どこでも珍しがられる苗字だということはできる。津山さんによると、178万人の25%はわずか48種の苗字のどれかを名乗っている。268種で50%、1346種で75%を超える。しかも、苗字は限られた数の漢字の組み合わせから成るので、われわれは初対面の人の苗字をたいていすぐに理解できるのである。多い苗字の全国ランキングも数多く出ているが、同じ読み方の苗字を一つと数えると、上位20はつぎのようになるということでは、どのランキングも一致している。全国でもこれらの苗字を名乗る人の比率は15~20%にのぼるであろうし、500ほどの名字で人口の3分の2近くに達するのではないかと思われる。

 あべ、いとう、いのうえ、かとう、きむら、こばやし、さいとう、ささき、さとう、すずき、たかはし、たなか、なかむら、はやし、まつもと、やまぐち、やまだ、やまもと、よしだ、わたなべ

 これまで述べてきたように、全国の苗字は沖縄をのぞいて共通性が高いのだが、一方で地域差もある。静岡・山梨の望月、愛媛の越智、宮崎の黒木などは地元では最も多い苗字に属するが、全国的にはそれほど多いとは思われていない。長野県では「沢」の字、鹿児島県では「園」のつく苗字が多いなど用いられる漢字にも地域的特徴がある。一般に東日本は苗字の種類が少なく、西日本は多い。「千葉、成田、渋谷、熊谷、三浦」など関東地方の地名に起源のある苗字が全国に広く分布するなど、苗字の分布は歴史をひもとく大きな手がかりともなる。苗字の研究も姓名判断や家系や珍名を集めて楽しむためばかりでなく、新たな角度から歴史に光を当てるものとして進めてもらいたいものである。

 日本の苗字は、地名との関係が密接である。しかし、その地名のところに地名と同じ苗字が多いと考えてはいけない。それでは同じ苗字が同じ地域に固まることになって不便なことになる。地名を元にした苗字は、やや離れてはいるがさほど遠くはない所に多く、地名のお膝元には無いか珍しいのが普通である。

 たとえば、山形県に寒河江(さがえ)という市がある。寒河江という苗字も全国の半分近くが山形県に分布する。しかし、県内の分布を電話帳の件数で見ると、山形市153、東置賜郡川西町94、米沢市75、東根市70となっていて、寒河江市には2件しかない。

 また、苗字のもとになった地名は、いま有名な地名とは限らない。今や大都市となっている神奈川県の横浜という地名は幕末の開港までは地元以外では誰も知らない、20戸足らずの漁村の名前だった。「横浜」という苗字は、全国の3分の1が青森県に集中し、その半分が野辺地町に集中している。野辺地町の隣に横浜町があるのだが、ここには横浜姓は1件しかない。

 苗字は、分布の多い都道府県内か隣県に同じ地名があるものがきわめて多く、地名と苗字に密接な関係があることは明白であるが、たとえば横須賀市に横須賀姓が稀だということをもって地名と苗字の関係を否定できたと思い込んでいる人もウェブ上で見かける。地名と苗字の関係はもっと多様であり、発想があまりにも単純すぎる。
全国的に多い苗字の場合は発祥地を遥かに離れた所に多いということがよくある。分布が狭い領域を抜け出したからこそ、全国的な苗字になったとも言える。地名との関係を見ても、日本の苗字には歴史性がきわめて強い。

 明治新姓というものは種類は多いが、それをの乗る人の総数は全体から見るときわめて少ない。状況証拠からすると圧倒的に不利なのだから、日本人の苗字の大半が明治に新しく作られたという通説は俗説としてしりぞけられていい。私たちが今名のっている苗字は、父母の両方をさかのぼれば、私たちの無数の先祖の無数の苗字のうちの一つに過ぎないのだから、苗字は特定の苗字の人の占有物ではなく、日本人全体の共有する文化遺産だと考えて、みんなで大事にしていかなければならないと思うのである。

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